相変わらず難しい教育改革1

先週、タイ全土の学生が新年度に学校に戻り、新しい友達、新しい教師、新しい経験をする予定でしょう。

しかし、タイの学校生活のある一面は変わりがなく、教育、学習、評価には時代遅れで効果のないアプローチです。

タイの教育制度の失敗は、国際的な報告書で一貫して不十分であることが文書化されています。

昨年度のPISA報告書では、教育ランキングの最下位に位置するタイは、数学(415)、科学(421)、読解(409)と490点の中央値をはるかに下回っています。

最近の国際数学と科学研究(TIMSS)の最新動向では、タイは数学テストでは431ポイント、科学試験では456ポイントで500ポイントの中央値スコアにいくぶんか足りませんでした。

対照的に、韓国、台湾、香港、日本を含むアジアの近隣諸国は、TIMSS報告書で印象的だったが、PISAランキング上位10位はシンガポール、日本、台北、マカオ、ベトナム、香港の7つのアジア諸国と中国本土です。

タイの学校制度の欠点は、平均的な学生がほとんど50%を超えることはめったにない全国評価であるO-NETの結果の公表とともに、毎年強調されています。

2016/2017年度のO-NETの結果はこれまでどおり実に残念でした。平均的な生徒が5つの試験のうち4つに合格していない状態で、380,000人以上の高校3年生の生徒が試験に参加しました。数学(24%)と英語(27%)と平均スコアは驚くほど低くなっています。

中学3年生の結果は同じように失望するもので、5教科すべての平均スコアが50%を下回り、数学(29%)と英語(31%)は特に悪い結果です。

2014年に国家平和秩序維持評議会(NCPO)が発足したとき、彼らは汚職を根絶し、教育システムが最優先に社会制度を改革すると約束しました。翌年、国立開発局(NIDA)の調査では、最も緊急な改革が必要な機関として教育制度が選定されました。

タイの経済を前進するために発足された国家平和秩序維持評議会(NCPO)の解説(英語)

改革が約束されているにもかかわらず、10年以上にわたって教育制度は大きく改善されていません。バンコクのある数学教師が説明するように、「タイの学校はまだ2008年に発行されたカリキュラムを使用しており、このカリキュラムは2001年のカリキュラムを詳しくしただけのものです。

「政府は改革を約束したが、改善はなし」

タイの教育制度が古くなったという見方は、国際学校への需要の急増につながりました。

タイで日本語教師に転職したきっかけ

私は、日系企業での海外駐在員をやめて、日本語教師として働いています。

簡単に私の経歴をお話しします。
元々、日本人なら誰もが知っているような日系企業で働いていました。
大学卒業後、最初の5年は日本での勤務でしたが、海外事業部に転属されてからは1年の大半をアメリカやカナダ、ヨーロッパで過ごしていました。そのおかげで英語力が上達しただけでなく各国の文化に触れ、数々の刺激をもらえました。
30代半ばになると、会社はタイ進出を決めたのと同時に東南アジアを担当することになりました。そしてタイ法人を立ち上げてからは、ベトナムやカンボジア、ミャンマーなど近隣の東南アジア諸国を回る生活へと変わって行きました。

毎週、異なる国で仕事をするのは刺激的で楽しいと思ってた反面、40を過ぎても独身だった私は将来に対する不安も芽生えて行きました。
そんな中、タイのカフェで知り合った地元の大学生から「日本語を教えて欲しい」と言われ、タイにいる時は出来る限り日本語を教えるということをしていました。
教え方が上手いということではないと思いますが、授業のたびにその大学生の友達が一人、二人と生徒として増えていきました。
生徒の人数が増えていくと教える私に変化があらわれました。初めは、大学生が持ってきた本を教科書として教えていましたが、オリジナルのテキストを用意したり日本語を使ったアクティビティを行ったりと変わっていきました。
自分でも明らかにわかるほど、教える楽しさを覚えていきました。
40年以上生きてきて趣味という趣味はなく、趣味なんて強いていえば接待用に始めたゴルフくらいでした。それが教える楽しさを覚えると、タイに戻ってくることが待ち遠しくなり、また出来る限りタイにいようと思うようになりました。

充実した日を過ごしていたある日、本社より私の東南アジアでの実績を評価してくれたようで、社長より直々に「役職を用意するので日本本社へ戻ってこないか」という話がありました。私に家族がいれば、迷わずに日本へ戻ることを選択したと思いますが、私は独身で両親も私が30代半ばの頃に他界していたので日本には家族と呼べる人がおらず凄く迷いました。迷った理由は、やはり教える楽しさを覚えたことです。

そんな折、タイの知人の日本語学校の先生に相談をしたところ、彼女の学校で2016年より日本語教師の空きが出るということを教えてもらったり、そんな相談をしていたローカルレストランにたまたま校長先生が来られたり、と偶然が続き日本語教師になる話がとんとん拍子に進んでいきました。

それから数週間後、本社より社長が来られた日に退職願を提出し20年以上務めた会社を退職しました。